今の五反田風俗のスタイルを形作った昔の風俗事情にも少し触れておく

大人の男のたしなみといえば「風俗」です。月に何度も足を運び、風俗通いが生活の一部となっている男性も多いのではないでしょうか。首都圏はもちろん、地方にも様々な風俗店が軒を連ねており、今も尚活気付いています。そんな風俗ですが、そもそもどうやって発展してきたのでしょうか?ここでは、意外と知られていない「風俗の歴史」を紐解いていきます。

◆日本で始めて身体を捧げたのは「巫女さん」だった
歴史は江戸時代初期まで遡ります。今となっては「性交渉=はしたない」というイメージが定着していますが、その頃の日本は性に対してとてもオープンであり、いわゆる「夜這い」がそこらじゅうで行われていました。初対面の男女が意気投合し、そのまま林の中に消えていくのはあたりまえだったのです。

とはいえ、江戸時代以前、性交渉は「聖なる行為」として考えられていました。そのため、「神との交信」を目的に、神に最も近いとされる「巫女」との性行為が行われていました。つまり、性風俗の元祖は巫女による行為だったのです。それから性交渉に対する考え方がゆるくなり、江戸時代に「遊郭」と呼ばれる現代の風俗街が誕生します。

◆「吉原」には男性のみが入ることができた
「吉原炎上」の舞台となる、江戸時代最大の遊郭街が「吉原」です。当時、遊郭は全国各地に転々としていましたが、様々な遊郭が一箇所に集まり、一つの街を形成していました。吉原は基本的に「女子禁制」であり、男性のみが足を踏み入れることを許されていたのです。

1958年頃に法律が変わり、吉原を含む遊郭がどんどん消えていきました。その裏で「連れ込み宿」や「ソープランド」として営業をはじめ、現代の風俗により近いものとなっていきます。

◆第二次世界大戦後の「パンパン」
第二次世界大戦後、日本は戦争によって国全体が疲弊していました。仕事は無く、経済もうまく回っておらず、治安は最悪でした。その間、自分達の生活をより良いものとするため、「売春」を行う女性達が現れます。その頃には、アメリカ軍が駐在していたため、アメリカ人相手の売春で大きな利益を上げていたのです。

そういった娼婦達は「パンパン」と呼ばれました。昭和後期から平成にかけて、パンパンを題材とした映画も作られ、今ではレンタルビデオ店などで借りることもできます。その後、性風俗は風営法や時代の波に流されながら、様々な発展を遂げていきます。現代の風俗が確立されたのは、平成に入ってからと言われています。